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普通のPT・OT・STになることの意義は高い

普通のPT・OT・STになることの意義は高い。

普通のPTとは、「基本動作能力の回復を図る」ことができる人
普通のOTとは、「応用的動作能力の回復を図る」ことができる人
普通のSTとは、「音声機能・言語機能の回復を図る」ことができる人
と法律で定められている。

法律はスタンダードな基準を明記していることから、PT・OT・STのライセンスホルダーは倫理的にもこの法律の定義を遵守しなければならない。

しかし、今の世の中は多様な価値観にあふれ返っており、その普通が軽視されやすい。

地域包括ケアシステム・健康増進・予防医療・起業・在宅シフト・ロボットテクノロジー・IT技術・看取り・街づくり・高齢化・グローバル化・病床規制・ワークライフバランス・自費サービス・・・・・など多くの課題や現象が社会の中で渦巻いている。

また、インターネットやSNSの発達によりセラピストも多くの情報の触れるため、多くの価値観に感化されやすくなっている。

このような時代では、ストイックに普通のPT・OT・STの定義に強くこだわらなければ、多くの情報に振り回されて、中途半端に様々なものに手を出してしまう。

PT・OT・STの見識は間違いなく、様々な社会課題の解決に役立つ。

しかし、PT・OT・STとしての普通を極めていない場合は、真の意味でPT・OT・STの見識を様々な社会課題に生かすことはできない。

基本動作、応用動作、音声・言語機能の改善に様々な角度から真剣に向き合ってきたセラピストだから、社会課題の解決に対して多くのアイデアを提案することができる。

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PT・OT・STの普通を極めることは、それだけでも大変である。

基本動作の改善を普通にできます!
応用動作の評価を普通にできます!
言語機能の評価を普通に行えます!
といえるセラピストこそ、非凡になれる可能性がある。

非凡であることの前に、普通であること。

まずは、PT・OT・STとしての普通を極める。

しかし、普通を極めた先には、計り知れない社会貢献の可能性がある。